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■512 / inTopicNo.1)  自然的人間的
  
□投稿者/ るしふぇる -(2004/12/27(Mon) 00:32:07) [ID:WFy68yyF]

    内容の分類:[【注意!】否定的危険] 

    これは批判ですので気分を害されない自信があるかたのみお読みください。

    と言っても「『マンキン』はここが駄目だ」系の批評じゃ無くて、「ここをこうすればもっとよくなるのに」系の批評ですが。(ファンサイトなら、まあ常識として当然なんですが、そうじゃないかたも紛れているようなので、勘違いされないよう、念のため。)

    あと、“自然を思う心”という考え方をしているかたも読まないで下さい。自然=心ではなく、自然VS心という考え方で書いています。


    考えるに『マンキン』が変わってきたきっかけはファウスト戦でした。
    それまでは葉は心の側にいたのに、この時は物の側にいたんですよ。

    えーと、唯物論とか唯心論とかいう言葉を出さずに説明するのは難しいですし、その唯物論や唯心論の捉え方も人によって違いますので、ここで、その区別の仕方をはっきりさせておきます。
    皆さんは普通、お金とかの人間が作ったものは、物として捉えていると思うのですが、『バカの壁』の養老孟司先生によると違うそうです。お金は物(現実)じゃない、ということは、つまりお金というのは心、要するに脳の側にある、ということなんですね。ここで私が心の側と言ってるのは、一般的な唯心論の立場ではなくて、養老先生の唯脳論の区分と一緒ということです。

    1巻において葉は死んだ人間の肩代わりをして、その人間の心残りを解消していました。その時点では葉は心の側にいたのです。一方、1巻の蓮は物の側にいました。ここで蓮は「精神面をないがしろにしている」と心の側にいるような発言をしていますが、先の区分からすれば物の側にいる、ということです。この巻の最後で葉と蓮は対決し、葉が勝って心が大切なのだという結論に至ります。

    しかし、ファウスト戦ではファウストが心の側にいて、葉は1巻の蓮のように物の側にいるのです。

    この時ファウストがそれまでの『マンキン』では描写されていなかった心のマイナス面を出しているのに対して、それを説得するのに葉は物の側からやっているのです。
    その原因なのですが、たぶん葉の言葉「限りある命が大切」から類推するに映画『銀河鉄道999』から持ってきたと思うのですが、これは心の側にいる原作者の松本零士氏の考えというより、物の側にいる監督のりんたろう氏の考え方が反映されています。ですから武井先生は松本氏の考えとして「限りある命」を引っ張ってきたと思うのですが、実はりん氏の考え方になってしまっているのです。

    ここで武井先生の意図とは逆に心と物のテーマが逆転してしまった訳ですが、現在の『マンキン』は心の側に戻りました。しかし、心のマイナス面をプラスで対処したのでなく、物の側からやってしまったために今の混乱があると考えられるのです。しかも、心の側を肯定したいために、一旦否定した心のマイナス面までをも肯定してしまったのです。

    この混乱から抜け出すために、武井先生には心のマイナス面をきっぱり否定していただきたいと思います。あそこで、葉はファウストの行為に本気で怒っているのですから。その説得の言葉だけが借り物だっただけで。


    ところで、旧掲示板の書き込みで、赤マルで補完は確定と書いてしまったんですが、それはないです。単行本の尺を考慮に入れていませんでした。申し訳ありません。『麻葉童子』も『マンキンブック』のほうに収録されてしまっていますから、それに合わせて新しい単行本が出ることはないですね。
    http://www.fukkan.com/
    復刊ドットコムあたりでどうにかならないものかな?と思います。
引用返信/返信 削除キー/
■518 / inTopicNo.2)  Re[1]: 自然的人間的
□投稿者/ ルイ -(2004/12/27(Mon) 10:46:04) [ID:xOsDvd3p]

    内容の分類:[答え] 

    すいません。
    『心』と『物』の違いがよく分かりませんでした。
    もう少し簡単に・・・できますでしょうか。
    お願いします。

引用返信/返信 削除キー/
■523 / inTopicNo.3)  Re[2]: 自然的人間的
□投稿者/ 藍梨 -(2004/12/27(Mon) 20:16:45) [ID:OKr7Dp8r]

    内容の分類:[質問] 

    わたしもそれ思いました。
    なんか話してることが長いし、難しいし、よくわかりませんでした。
    スイマセン…。
引用返信/返信 削除キー/
■526 / inTopicNo.4)  Re[3]: 自然的人間的
□投稿者/ るしふぇる -(2004/12/28(Tue) 04:10:12) [ID:WFy68yyF]

    内容の分類:[答え] 

    2004/12/28(Tue) 23:43:29 編集(投稿者)
    2004/12/28(Tue) 23:29:54 編集(投稿者)

    う〜ん。すいません。私の力の及ぶ限り簡単にしたつもりだったのですが、やはり難しいようですね。長さもぎりぎりまで短くしたつもりです。何十回となく読み返して削りました。

    また、文中にも書いてある通り、“心と物の違い”については武井先生でさえ分かっていなかったから『マンキン』はちぐはぐになっているのですから、皆さんは無理に分からなくてもいいと思います。大人になったら分かるというようなものじゃないですから。
    ただ、『マンキン』の印象が違ってきたのは、武井先生がわざと変えたためではない、ということだけ分かっていただきたいと思って書いたんです。要するに、武井先生は、ちょっと御自分の手に負えないようなところまで、テーマを広げ過ぎちゃっただけなんですよ、と。


    それでは、ここから先は無理に分りたいかたのみ、おつきあいください。

    タイトルにもある通り、おおざっぱに言えば、心=人間で物=自然です。更に言えば心=夢であり、物=現実です。
    今、皆さんの目の前には何がありますか?パソコンですよね?それはまあ物なんですが、私の書いた“物の側”の“物”というのは、そういう“人間が作った物”を指しているのではなく、“人間が作ったのではない物”を指しているのです。
    そういう区別の仕方は自分では分かっていても、はっきりと他人に伝えられる言葉を持っていなかったし、他人に伝えるためには哲学の“唯心論と唯物論”というような元々ある考え方を使ったほうが楽なので、そこから言葉を持ってきたのですが、実は物とは関係ないんです、すいません。
    ですから、“心の側にいる人間”とは、そういう人間の作った物、いえ、もっと厳密に言えば人間の空想の産物を形にした物を大事にしている人で、“物の側にいる人間”というのは、人間の作ったのではない物、もっと厳密に言うと人間の作った物でも機能的である物を大事にしている人を言います。そして“心の側にいる人間”には形になっていない空想の産物を大事にしている人も含まれます。まあ、それが“心”な訳です。

    お分かりいただけましたか?

    また、乱暴な区分で言えば“心の側にいる人間”=文学、芸術系の人間で、“物の側にいる人間”=理数、体育会系の人間ですね。
    いや、違うよ、とおっしゃる方もいるかもしれません。そうですよね。そう、人をすぱっとは分けられませんよね。だから難しいんですよ、このテーマは。

    でも、ファウスト戦の前までは良かったんですよ。心のプラス面対物のマイナス面でやってたんですから。ファウストが心のマイナス面を持ち出したから、ストーリーがややこしくなっちゃったんです。あそこで葉の過去も書き換えられちゃいましたし。「幼稚園の友達に自慢できない」んじゃなかったのか?葉!
    で、まあ、それはいいとして、その時ファウストを肯定するような表現があったら、心のプラス面もマイナス面も肯定する漫画、として成立していたのですが、あそこであれだけファウストを自分の考えではないような台詞まで持ち出して否定していたのに、今更肯定されても、遅い、というか、ちぐはぐというか。
    やはり、このファウスト戦の初心(?)に帰って心のマイナス面は否定されたほうが、あの今の憑き物に憑かれたような葉も我に返るような気がしてなりません。また憑かれたままでいたいなら、ファウストを否定した自分は嘘だったのだ、という描写をしていただかないと納得が出来ません。て言うか、本当はどっちなんですか?
引用返信/返信 削除キー/
■531 / inTopicNo.5)  Re[4]: 自然的人間的
□投稿者/ k -(2004/12/28(Tue) 12:31:58) [ID:taV0dzzD]

    内容の分類:[答え] 

    なるほど、とてもおもしろい意見ですね。
    “唯心論と唯物論”とか知らないし、“心”と“物”の相違がどういったものなのか私も曖昧なので、少し間違った解釈をしてしまっていたら申し訳ないのですが…

    ファウスト戦、あれはファウストの愛しい人を失った哀しみVS葉の友達を傷つけられた怒り、でしたね。
    ここまでは良いのですが、そこで葉の「限りある命」発言。
    これはそもそも“死者の霊をこの世に具現化することが出来るシャーマンの物語”という、シャーマンキングそのもののスタンスに真っ向から対立しかねないリアリティな原理ですよね。
    その後の蘇生による死者復活とも矛盾しますし…。
    でも一方で「決して死は克服するものでもないし、出来るものでもない」というように、人間としての死に対する絶対恐怖というものも作品の中で描かれていたりするんですよね。
    いわばこれは生ける者持つ本能であると思うので、本能(自然的)は心(人間的)と対になる。
    また、ハオの超自然的能力に、同じく超自然の力を以て対抗したり…
    また一方で巫力無効化に対抗し、自然の力を利用したり…
    結局シャーマンの力そのものが超自然的でありながら、自然と密接に繋がりを持ち切っても切り離せない関係にあるんですよね。
    つまりは“人”と“自然”とは、そういう相互関係にあるものだと思うんですよ。
    一見“人工的”なものと“自然的”なものは対立しているように思われますが、結局は表裏一体。
    “夢”と“現実”も、結局どちらも存在し成り立っているのがこの世界。
    まぁそれらを一つの作品にまとめることに少し無理があったとは思いますが…
    矛盾するもの同士をどちらも肯定的に捉えたり、時に一方が否定されたり、読者の混乱を招かざるおえないですよね;

    マンキンは沢山のテーマが混合していて凝縮されています。
    しかもそのどれもがそれぞれ難解で重みのあるテーマです。
    要因は複数の宗教の考え方が引用されていることにあると思います。
    仏ゾーンの時はまだ仏教だけだったのですっきりしていたのですがね(^^;
    だから矛盾点が生じたり、詰め込みすぎてパンクしてしまったりして…その結果の打ち切りなのかなぁとも思います。非常に残念です。

    そんな混沌とした世界観の中、だから大切なことはそれぞれの「心で決める」という、一種個人主義的なテーマも含まれているんですよね。
    「何が正義なのかは誰にもわからない」「悪いヤツなんていない」
    つまりはこれだけ沢山のテーマを提供している作品の中から、読者自身が自分にとっては何がもっとも大切なものであるのかというのを見出していかなければならない。
    それがマンキンの良いところでもあり、難しい点でもあるのだと思います。

    …ちょっと話しの趣旨がずれましたかね?;

    長々と乱文失礼しました;;
引用返信/返信 削除キー/
■539 / inTopicNo.6)  Re[5]: 自然的人間的
□投稿者/ るしふぇる -(2004/12/29(Wed) 04:47:35) [ID:WFy68yyF]

    内容の分類:[【注意!】否定的危険] 

    う〜ん。すいません。(また同じ書き出し…。)

    >つまりは“人”と“自然”とは、そういう相互関係にあるものだと思うんですよ。
    >一見“人工的”なものと“自然的”なものは対立しているように思われますが、結局は表裏一体。
    >“夢”と“現実”も、結局どちらも存在し成り立っているのがこの世界。

    申し訳ないんですが、最初にお断りした通り、
    >“自然を思う心”という考え方をしているかたも読まないで下さい。自然=心ではなく、自然VS心という考え方で書いています。
    という訳なんですよ。
    長くなるので書かなかったのですが、私はハオは心のマイナス面にいる、と考えています。『スターウォーズ』で言えば心の“ダークサイド”ですね。1巻の蓮やトカゲロウのように物の“ダークサイド”にいるとは思っていません。心をないがしろにしてはいないのです。
    また、1巻での蓮の台詞というのは巷でよく聞く物の側面にいる人間の考え方です。しかし、蓮と違いハオの自然の考え方は“自分の妄想の中の自然”になっているのです。心がなくても存在する自然ではなく、自分の心の中に存在する自然です。


    それから、『マンキン』は混乱していますが、武井先生は混乱していないと思います。私は「武井先生の意図とは逆に」とか「自分の考えではないような」と書いた通り、一貫して心の側にいらっしゃると考えています。アーティストですから、先生は。
    しかし、心のダークサイドを肯定したいのか、したくないのかは『マンキン』を読む限りじゃ分からないんです。だから、知りたいんですが、本人が語りたくないなら無理に語らせる訳にはいかないとは思っていますので、そんなような描写があると有り難いです。今のままじゃカオスが渦巻いてますよ。


    ところで、『マンキン』は思想的には仏教と関係ないです。
    No397で書いた通りです。
    http://7andy.yahoo.co.jp/books/detail?accd=31427097を読むとわかると思うのですが、「思い通りにならないことが、ありがたい!」のですよ、仏教は。
    今、伝わっている仏教がどれくらいお釈迦さまの思想を反映しているのかはわかりません。もしかすると、キリスト教同様に変容しているのかもしれません。しかし、その変容したかもしれない部分は稲作農耕民の思想と合致するのです。「思い通りにならないことが、ありがたい!」と思ってないと百姓はやってられないんですよ、お天道さま次第なんですから。
    そして、『マンキン』は牧畜民の思想です。『大草原の小さな家』を読んでわかったのですが、牧畜民は生活が家族単位です。だから、家族愛というのは牧畜民にとって大切なのだということがわかります。そして家族の思想とは一方的にやってあげること(親)であり、やってもらうこと(子)の思想なのです。
    また、稲作は、今でこそ機械化が進み、家族でも出来るようになりましたが、昔は村で協力しあわないとやれなかったんです。集団の作業は辛いです。時には逃げ出したいこともあるでしょう。そんな考えを自業自得、因果応報の考え方で縛ったのです。そして、自分が働いた分だけ返ってくる、としたのです。じゃないと集団の中じゃ不公平ですからね。等価交換なんですよ、稲作農耕民の思想は。一方的ってのはないんです。


    何か今疲れているのか、倒置法を多用していますが、気にしないでください。強調表現じゃなくて、思考が英文法式なんです。気を付けないとよく、こうなります。
    kさんは『マンキン』がお好きなんですね。文章から伝わってきます。
引用返信/返信 削除キー/
■547 / inTopicNo.7)  Re[6]: 自然的人間的
□投稿者/ k -(2004/12/29(Wed) 15:07:02) [ID:taV0dzzD]

    内容の分類:[答え] 

    うむ、「表裏一体」とか書いたのがまずかったですね。
    私も「自然=心」というようには考えていません。「自然⇔心」と言った感じ?(何か違;
    う〜ん、うまく説明できませんが…
    つまりまったく別のもの同士が両方とも成立しているという状態を言いたかったんです。

    ハオが心の“ダークサイド”であることはわかります。
    しかし“自分の妄想の中の自然”…?
    具体的にどのような場面からそのようなことが読みとれるか教えて頂けたら幸いです。
    いろいろ考えたことはありますが、結局ハオがどういう決心を持って転生までして戦いに挑んでいるのか、シャーマンキングダムとは何か、ハオの理想とはなんだったのかとか、私はまだよく理解できていないんですよね。。。

    確かに、自分の考えはしっかり固まっているのに、いざ作品を書く時に表記を誤った方向に進めてしまう事ってよくあります。
    もやもやしたカオスの中から読みとるのも、それはそれで面白いかもしれませんが(笑)やはり明確な答えってのを知りたいと思います。


    >ところで、『マンキン』は思想的には仏教と関係ないです。

    あっ言われてみれば…!
    先生ったら大仏とか好きだからてっきり仏教も混ざってるのかと思ってしまいました;
    仏教って「思い通りにならないことが、ありがたい!」んですかぁ…
    思いの力で何でも出来てしまうマンキンとは正反対ですね。
    「メシアが出てきて世界を救う」とかって設定は凄く西洋っぽいとは思ってましたが(3巻でトガゲロウを救う辺りの葉なんてまんまイエス・キリストと被って見えた)
    九十九神は凄く東洋独特ですけどね。
    あと「やったらやり返される」などは稲作農耕民サイドだと思いますが…
    でも最終的には万人が救われるという博愛主義的なとこはキリスト教ですよね。
    …まぁ宗教についてはろくに教養が無いので、この辺で口を噤んでおきます。
    しかしるしふぇるさんはいろんな著作に詳しいですね、尊敬します。

    疲れてると英文法式になるって凄いですね…!;私英語が苦手教科なので羨ましいです(ぇ
    『マンキン』、好きですね。自分でもよくわからないくらい大好きです。




引用返信/返信 削除キー/
■583 / inTopicNo.8)  Re[7]: 自然的人間的
□投稿者/ るしふぇる -(2004/12/31(Fri) 03:06:00) [ID:WFy68yyF]

    内容の分類:[答え] 

    2005/01/05(Wed) 03:32:50 編集(投稿者)
    2004/12/31(Fri) 05:19:54 編集(投稿者)
    2004/12/31(Fri) 04:58:56 編集(投稿者)
    2004/12/31(Fri) 03:08:54 編集(投稿者)

    う〜ん。すいません。(またかい!……私は『マンキン』のギャグ、好きなんです。)
    私も書き方がまずかったですね。
    VSって書いたのは対決しているという意味じゃないんです。単に別のものということなんです。ちょうど、NHKの『地球大進化』が再放送していて人類は他の霊長類と違う特徴として白目がある、ということが語られていました。人間の白目が人間が心を持っていることを表しているのだそうです。
    しかし、自然と人間は別のものじゃないですよ。自然⊃人間(人間は自然に含まれる)です。おおざっぱ過ぎでしたね。それで、心の側にいる人間は、自然⊂人間(人間に自然は含まれる)と考えやすいということなんです。
    更に1月1日付けの朝日新聞で、佐藤文隆教授は“理論物理学者は現実を見ずに理想を見る”というような意味のことをおっしゃっていました。つまり必ずしも物の側=現実ではありません。しかし、この理想というのは夢ではなくて、“人間の作った物でも機能的である物を大事にしている”ということです。

    さて、「具体的にどのような場面からそのようなことが読みとれるか」ですが、具体的には読み取れません。少なすぎますよ。ハオの出番自体もあまり多いとは思えないような気がします。何故そう考えたかというと、心の側にいる武井先生が1巻の蓮は否定的に描いていて、ハオは肯定的に描いていることからの類推です。思想的にはどっちも変わらないような気もするかもしれませんが、ハオは蓮と違い他からの引用がなく、武井先生御自身の考え方が反映されていると思います。

    >あと「やったらやり返される」などは稲作農耕民サイドだと思いますが…
    いやー、書かれてしまいましたね(笑)。書こうと思っていたんですよ。
    確かにそうです。これも混乱の一つかなと思ったのですが、よく考えたらこれは“「やったらやり返される」のは嫌だ”、ということでなのしょう。農耕民なら「やられたらやり返す」だと思います。「目には目を、歯には歯を」のバビロニアは稲作ではありませんでしたが、麦を作っていた農耕民の国でした。
    ところで、ファウスト戦では葉はファウストにやられたからやり返していましたが、このことから考えるとそれは葉の本心ではなかった筈です。一方ファウストは「やられたらやり返す」ような行動はしていません。彼はエリザの仇をとっていた訳ではないからです。彼はエリザを蘇らせたかったのです。
    ということはkさんの
    >>549「心」に従わず、「感情」に任せて行動してしまった時に引き起こされるのが「後悔」。
    という言葉をお借りすれば感情に任せた葉は後悔し、心に従ったファウストは後悔していないのですね。

    >でも最終的には万人が救われるという博愛主義的なとこはキリスト教ですよね。
    これは多分キリスト教が牧畜民が主であるヨーロッパで広まったことにより変容してしまった部分のひとつでしょう。旧約聖書の起源はメソポタミアにあると考えられており、キリスト教の基盤は農耕民的な部分があります。


    私も英語は苦手です。単語が覚えられないんですよ。
引用返信/返信 削除キー/
■584 / inTopicNo.9)  Re[8]: 自然的人間的
□投稿者/ さあや -(2004/12/31(Fri) 12:59:14) [ID:pPu3ETGd]

    内容の分類:[答え] 

    るしふぇるさん。
    たしかにハオの出番は少ないですね(^_^;
    でも、だからこそ、ハオが出てきた時に
    「待ってました!!」って感じなんですけどね(^^)
    ハオ様、もっと出してほしかったな・・・
引用返信/返信 削除キー/
■588 / inTopicNo.10)  Re[9]: 自然的人間的
□投稿者/ るしふぇる -(2005/01/01(Sat) 05:20:12) [ID:WFy68yyF]

    内容の分類:[情報提供] 

    また、「やられたらやり返す」に関して物のプラス面かマイナス面かを考えたのですが、どちらかわかりませんでした。ということは物の側面にはプラスもマイナスもない。つまり自然に善悪はない、ということです。
    逆に考えれば、心に善悪はあるのです。心のプラス面しか描いていなかったファウスト戦の前まではなかった悪いことが『マンキン』のなかに存在するようになったんです。とすれば悪いことを肯定するのか、しないのか作品の中で示していかなければならないのです。まあ、うやむやにするのも、それは作者の自由なんですが、善悪の判別がつかない作品になってしまうでしょうね。

    個人主義に関しては、精神的な個人主義と肉体的な個人主義があります。
    私は心=個人、自然=集団と考えていたのですが、どうも違っていたようです。これも『バカの壁』を読んでわかりました。まあ、養老先生は肉体的個人主義のほうしか認めていないんですが。
    ちなみに養老先生によると、心の側=都市の人間で、物の側=自然の中で生活している人間(厳密に言うと近代化の中では自然生活者も物の側ではない)なのですが、私は武井先生は心の側の人間であり、且つ都市の人間でない牧畜民の思想である、としました。これは矛盾しています。私も一貫していないなと思っていたんですが、とあるサイトで「農耕民に比べ牧畜民は何もしないで待っている時間がある」という評論を発見しました。この自由な時間こそが牧畜民が自然生活者でありながら心の側にいるということを示してると考えます。

    >九十九神は凄く東洋独特ですけどね。
    う〜ん。これは単なる設定で思想とは関係ないと思います。すいません。


    さあやさん
    ハオの出番少ないですよね。何故なんでしょうか(笑)?もっと連載が続いていれば出番があったかもしれませんね。

    復刊ドットコムは無理ですか。
    では、たのみこむ
    http://www.tanomi.com/
    で『マンキン』復活
    http://www.tanomi.com/metoo/naiyou.html?kid=44128
    を頼みましょう。
引用返信/返信 削除キー/
■716 / inTopicNo.11)  Re[10]: 自然的人間的
□投稿者/ k -(2005/01/07(Fri) 01:45:13) [ID:taV0dzzD]

    内容の分類:[答え] 

    レスが遅くてすっかり昔の話題になってしまいましたが、今更ながらコメントを…;;

    >心の側にいる人間は、自然⊂人間(人間に自然は含まれる)と考えやすい
    >物の側面にはプラスもマイナスもない。つまり自然に善悪はない
    >武井先生は心の側の人間であり、且つ都市の人間でない牧畜民の思想である

    ほぉ〜…だんだんなんとなく解ってきました(まだなんとなくかよ;


    >感情に任せた葉は後悔し、心に従ったファウストは後悔していないのですね。

    そういうことですよね…!
    いろいろと考察すると目が回ってきそうですが;兎にも角にもファウスト戦はいろんな意味で特殊な戦いだったと思いました。
    最初で最後(?)の葉の敗北を記した、という点などでも。


    >>でも最終的には万人が救われるという博愛主義的なとこはキリスト教ですよね。
    >これは多分キリスト教が牧畜民が主であるヨーロッパで広まったことにより変容してしまった部分のひとつでしょう。旧約聖書の起源はメソポタミアにあると考えられており、キリスト教の基盤は農耕民的な部分があります。

    そうなんですかぁ…!
    でもルーツとなったユダヤ教を思うと、そんな気もします(ってユダヤ教についてもそんなによくは知らないんですけどね;


    >九十九神

    すみません、自分でもこの話題には全然関係ないと気付きつつ、つい出てしまいました;(爆
    一神教と多神教、西洋と東洋の相違を代表する最も根本的な思想の違い(意識の違い)だと思ってます。
    「神」という概念についての、この意識の違いは西洋人と東洋人の人格形成に措いても大いに影響しているのだとか…
    って話し逸れまくってますね、すみません、もぅ黙ります;;

    思えば人間がそれぞれの異文化の精霊(神)同士を戦わせるって、凄い話しですよね…(つぶやき
    いや、SFは自らの魂の“闘い”なんですよね。“戦い”と言うよりは…
引用返信/返信 削除キー/
■741 / inTopicNo.12)  Re[11]: 自然的人間的
□投稿者/ るしふぇる -(2005/01/08(Sat) 01:22:14) [ID:WFy68yyF]

    内容の分類:[答え] 

    前回「善悪の判別がつかない作品になってしまうでしょうね」と書いたのですが、やはり善悪の判別のつかない作品はもはや作品とは言えないのではないか、と思いました。「罪を憎んで人を憎まず」という考え方であれば、それは作品といえますが、“罪を憎まず人も憎まず”という考え方ではあまりにも無為自然過ぎて、それはもはや個人の作品とは呼べませんよね。ただ単に現実をリピートしているだけです。そこに何らかの作者の判断がないと作品にはならないのではないでしょうか?
    ちなみに『マンキン』はドラゴンの百合さんが志向している“罪を憎んで人も憎む”という「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」的なものにはならないでしょう。また、ひのがみよう(=シルバーウルフ)くんは“罪を憎まず人を憎む”という考え方ですが、これは何か訳分からないですね。まあ、ザルカウィ氏の目付きが日守剛とそっくりだ、と思って喜んでいる人は放っておきましょう。


    kさん
    >一神教と多神教、西洋と東洋の相違を代表する最も根本的な思想の違い(意識の違い)だと思ってます。
    >「神」という概念についての、この意識の違いは西洋人と東洋人の人格形成に措いても大いに影響しているのだとか…

    う〜ん、これはですねぇ…と書こうと思ったんですが、あまりにもそれも違う、あれも違うと指摘するのは、自分でも何か嫌になってきたので止めておきます。このことについて興味がおありでしたら、『バカの壁』http://7andy.yahoo.co.jp/books/detail?accd=31114125をお読み下さい。私は先生向きじゃないですねぇ。というか、あまり学校の先生にいい印象がないだけかもしれませんが。
引用返信/返信 削除キー/
■759 / inTopicNo.13)  Re[12]: 自然的人間的
□投稿者/ masiro -(2005/01/09(Sun) 02:52:10) [ID:l4BNWjdy]

    内容の分類:[答え] 

    2005/03/07(Mon) 22:19:11 編集(投稿者)

    初めて書き込みします。
    えぇと、「物」と「心」の違いは正直よく分からなかったんですが^^;

    えと、ファウスト戦(マンキン前半期)とマンキン後半期の、上でかかれていた葉くんの矛盾、これは私的には仕方の無いことと思ってます。むしろ、多分後半期の方が葉くんが大人になったというか、作者の心の変遷というかで、心の善悪を決めることが出来ないということに落ち着いたんだろうなと。
    善悪がわからない、でもこれは全てをうやむやにして許すということではなくて、ただその人が悪いことをしたからというだけでその人の心の全てが悪いと決め付けることができないと言っているだけで、罪自体が悪くないと言っているわけではないと思うんです。
    で、罪を行ったその人の心の一部を憎んでも、その人の心全てを憎むことが出来ないから、結局葉くんは人を完全に憎むことが出来ないのじゃないかなと。
    作品中にはよく「何が良いことか悪いことか分からない」と出るので、るしふぇるさんがおっしゃったようにただ現実をリピートしてるように感じてどうしようもないように感じるけれど、作者の判断がないわけではないと思うんです。
    「罪を憎まず」ではなくて罪を行う人の心の全てを憎むことができないだけではないのかなぁと。それで、罪を憎んでもそれを行った人の心は救いたいのではないのかなぁと。……自分で言ってて屁理屈のような気がするんですけど、こういう解釈はどうでしょう;?私はこれで納得してるんですけど…。
    だから葉はハオを倒すのではなく助けにいくんではないでしょうか。アンナちゃんも最後にそう言ってますし。最後プリンセス・ハオですし。
    ただまあ、前半期と後半期の違いにもよって矛盾を感じてしまうことも確かにありますけれど…。

    えぇと、なんだか書いてて自分でわけわかんなくなったんで、上記の話題とずれてて問題が全然違うことでしたらごめんなさい;意味不明なこと言ってたらごめんなさい;

    ただ、私はマンキンが善悪に見切りをつけてあいまいにしたわけじゃない、すごく優しい漫画なんだと思ってます。

引用返信/返信 削除キー/
■760 / inTopicNo.14)  Re[13]: 自然的人間的
□投稿者/ るしふぇる -(2005/01/09(Sun) 05:58:29) [ID:WFy68yyF]

    内容の分類:[答え] 

    う〜ん、すいません。(おいおい!)
    全面的にmasiroさんのおっしゃる通りです。
    それなのに何故こんなものを書いたかと言えば、たぶん『マンキン』を読んでいる人の全てがmasiroさんのような読み方は出来ないんじゃないかと思ったからなんです。中には自分の都合の良いように解釈してしまって、きちんと『マンキン』を理解出来ない人もいるのではないかと考えたんです。そういう人にとっては理由があれば悪いこともやっていいと取られてしまう危険性もないとは言えません。
    理解できない人は放って置けばいいと思われるかたもいるかもしれませんが、やはり少しでも多くの人にmasiroさんのような読み方をして欲しいと思ってしまいまして。きちんと読んでるかたには見苦しい主張になってしまい申し訳ないです。
    No742でも書いたように物の側から見ている人間の一面的な解釈として受け流していただければ幸いです。
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■763 / inTopicNo.15)  Re[14]: 自然的人間的
□投稿者/ ささもり -(2005/01/09(Sun) 10:58:54) [ID:UcYkleA4]

    内容の分類:[質問] 

    横から失礼します。
    masiroさんすごいです。僕もそんな感じで理解してます。
    ただ僕は言葉が下手だから、上手く伝えることができなくて。だからmasiroさんの書き込みを読ませていただいて、とても嬉しくなりました。だから以下の言葉が意味不明でも、それは僕の文章力の無さゆえのことです。

    僕もシャーマンキングはとても優しい漫画で、葉さんはとても優しい人なんだと思います。たとえばその優しさが、弱さやいいかげんさに見られてしまうことがあったとしても。
    矛盾は、僕はあまり気にしていません。それが、葉さんが(そして武井先生が)、その時考えた一番大切なことを、その時できる精一杯の形であらわしたものなら。作中の彼らは中学生くらいで、一番多感な時期です。いろんなことを体験して、前に進もうと精一杯もがくから、どんどん成長して、それが矛盾に見えることもあると思います。
    だからまずはすべてを受け入れて、それから考えることにしています。彼らは何故、あのような姿を見せてくれているのだろう、と。
    葉さんたちのありのままの姿が気に入らないなら、それはそれでいいと思います。考えたけど、俺とは合わないよ、ということも当然あると思うし、まったく悪いことではありません。作品として、矛盾があるのは許せない、と思ったとしても、間違いではありません。僕はシャーマンキングがとても「面白い」と思うけど(悲しいことにすべてを理解できているわけではないけれど。)、そう思わない人がいるのもあたりまえのことです。
    ただ少しでもたくさんの人が、彼らの姿を見て、彼らが見せる優しさのカタチや強さのカタチを、ひとつの姿として見つめてくれたら、自分にとっての優しさとか強さってなんだろう、何を大切にするんだろう、と考えるきっかけのひとつになってくれたら嬉しいな、と、おせっかいな一ファンである僕は思うのです。

    ・・・何か話題ずれてます? 原形とどめてないかも・・・。
    なにか面白い話題が出ているな、と思ったので、書き込みさせていただきました。
    悪意は一切ありません。考え違いをしていたとしても、それはすべて僕の責任です。
    失礼しました。
引用返信/返信 削除キー/
■768 / inTopicNo.16)  Re[15]: 自然的人間的
□投稿者/ るしふぇる -(2005/01/10(Mon) 01:50:43) [ID:WFy68yyF]

    内容の分類:[答え] 

    考えたんですが、やはり善悪をはっきり描こうが描くまいが関係ないですね。自分の都合の良いように解釈する人は、その作品がどんな描かれ方をしていようが、理由があれば悪いこともやっていい、という風に解釈すると思います。
    善悪をはっきりして欲しいのは、読んでいる私が落ち着かないから、というだけのことでした。
    矛盾に関しても同様で、ささもりさんのおっしゃる通りです。
    ただ、「限りある命は尊い」という台詞については、葉のありのままではないな、と思ったんです。私が中学生の頃観た映画版『銀河鉄道999』そのままの台詞だったものですから。出来たら借り物ではない葉のありのままの言葉が聞きたいんです。彼は――武井先生は本当は何と言いたかったのか、知りたいんです。
    今、私が望むのは、ただそれだけです。
引用返信/返信 削除キー/
■769 / inTopicNo.17)  Re[15]: 自然的人間的
□投稿者/ masiro -(2005/01/10(Mon) 02:20:23) [ID:l4BNWjdy]

    内容の分類:[答え] 

    2005/03/07(Mon) 22:25:20 編集(投稿者)

    >るしふぇるさん
    確かに、マンキンは少年漫画で単純そうに見えるけれど、変に難しいとこありますよね。だからるしふぇるさんのようにあえて問題提起されることも大切なんだって、思います。

    >ささもりさん
    ああありがとうございます;こちらこそ同じように考えている方がいて嬉しいです!
    ていうか、私の言いたかった以上のことをすぱっときれいに言ってくださってて嬉しいです。すごいです。(文章力皆無なのは私です…)

    人によって見方が違うのは当然のことで、No.531でkさんがおっしゃっていたように、その混沌をどう感じるか、どう受け止めるかは結局は一人一人の「心」が見出すしかないんですよね。
    それは答えがはっきりしない分、不安に感じたり突き放されたように感じてしまうかもしれないけれど、でも私は武井先生の優しさを感じました。
    ……でもやっぱり、マンキンもっと見たかったです〜。るしふぇるさんと同じく武井先生の言葉が聞きたいです(泣/結局はこれです)

    長々と失礼しました。

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■804 / inTopicNo.18)  Re[16]: 自然的人間的
□投稿者/ num -(2005/01/15(Sat) 12:17:23) [ID:pQQjuza2]

    内容の分類:[【注意!】否定的危険] 

    初めまして。ここには初めて書き込みます。m(_ _)m

    るしふぇるさん>>No768僕もるしふぇるさんの意見と同じです。まぁ意見が同じなだけで、るしふぇるさんの考えを全て分かったなんて事はありませんけどね…orz

    僕は、マンキンでも他のモノでも感じ方は人それぞれだと思います。
    しかし、その人それぞれの感じ方の中には良いも悪いも区別する必要は無く、どれも個性的で素晴らしい考え方だと思います。

    マンキン見てても思うんですが、人と人は争う必要無く、お互い認め合えば良いのになぁ、と思います。しかし、マンキンを読んでたり、今の世界を見てるとそうも言ってられないのかなぁ、とも思ってしまいます。

    なんか宗教的な所とか言われていますが、人それぞれ個別の宗教を持っていると僕は思っているので、それもいいんじゃないかなぁと思います。

    何が言いたいか分かりませんね…。まぁこれも一人の人間の考え方だなぁと思って見て下さい。
引用返信/返信 削除キー/



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